ハワイに日本人が多い理由、ハワイの日系人の歴史をご説明します。
ハワイに旅行に来た際にも、日本人の苗字だけど英語しか話さない方や、日本語の名前のお店を見たことがある人もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?こちらの記事では、ハワイの日本人の苦労や努力、成功などの歴史をご紹介します。
ハワイにはなぜ日本人(日系人)が多いの?ハワイの日本人の歴史。
ハワイの日本人の歴史
約150年前に初めてハワイに移住してきた日本人は約150人
ハワイの日系移民の歴史は1868年に遡ります。一番最初にハワイに移民してきた約150名はのちに「元年者(がんねんもの)」と呼ばれます。
彼らは横浜港から船に乗り、アメリカでの新たな生活を求めハワイへやってきました。
そのうち3分の1のみ、ハワイに残ったそうです。
当時の国王、キング・カラカウアは、ハワイの人と日本人はどこか似ていると感じていたことからとても親日家だったそう。
元年者と呼ばれた人たちがハワイへ来た後に、日本を訪れ、もっと日本人がハワイへ働きに来れないか、と話をしたとも言われています。
その後、ハワイ王国と日本政府の合意のもと、福島県、新潟県、広島県、山口県、福岡県、熊本県、沖縄県などの人々がハワイへ移住しました。
これらの日系移民はプランテーションで契約移民として雇われていましたが、彼らは英語が流暢ではありませんでした。それに加え、中国人やフィリピン人などさまざまな国からの移民もいました。そこで自分の母国語と英語が混じったピジン英語が生まれました。
ピジン英語に関してはこちら>>
プランテーションでの契約を終えるとより良い生活を求め、自身で小さなお店を開いたりする人も増えました。今でもハワイの街で、「Tamura’s」「Tamashiro Market」「Shima’s」など日本人の苗字のお店を見かけるのはそれが理由!
写真一枚で日本からお嫁さんをハワイへ呼び寄せ結婚!
元年者としてハワイに渡ってきた約150名のうち、女性は数える程しかいませんでした。その後移民として渡ってきた人たちも多くは男性で、女性の移民もいましたがほとんどが夫と一緒に来た既婚者でした。
最初は数年の出稼ぎとして渡った日系移民ですが定住を決める者も多く、まだ国際結婚(移民間結婚)が一般的でない時代だった当時、日系人たちは家族を作るために日本から花嫁を呼び寄せました。
それがピクチャーブライド(写真花嫁)です。
今のように飛行機で簡単にハワイへ来ることができなかったので、たった1枚の写真だけを交換し結婚するために女性がハワイへ渡ってくるという、今では考えられないような結婚の方法でした。これが1908年〜1924年頃の出来事。
自分の写りのいい写真や実際よりも若い頃の写真を使う人も少なくなく、「写真で見ていた人と違う!」という人もいたんだとか。
写真:AsAm News
その後、一世たちの子供が生まれ、ハワイ生まれの日系二世が増えていきました。
日系二世の生活
日系一世の子供にあたる日系二世たちは、日本人的な価値観も持ちつつ、アメリカ人として生きていくために言語も学び、アメリカナイズされ、家では日本語、外では英語を使うバイリンガルになる人も多くいました。
一世はハワイのプランテーションへいわゆる出稼ぎに来ていたので、社会的地位も低かったと言われています。二世の親たちは、自分の子にはアメリカで苦労をしないように、教養をつけて欲しいと常々思っていました。
親の苦労や努力を見て育った二世たちはとても努力家でした。たくさん勉強もし、高校以上に進学する人も多く、徐々にではありますがアメリカでの日系人の地位をあげつつありました。
そこで起こってしまったのが1941年の日本軍による、真珠湾攻撃です。
太平洋戦争と日系人
ハワイの日系人の歴史を語る上で、太平洋戦争は切っても切り離せない出来事の1つ、その理由をお話ししていきます。
月日は流れ、1941年にハワイの真珠湾が日本軍により攻撃され太平洋戦争が始まりました。これにより、アメリカに住む日系人はアメリカ生まれのアメリカ人でありながらも不利な立場に。
ハワイの日系人にも疑いの目を向けられ、一部の日系人はオアフ島のホノウリウリ収容所やサンドアイランドにあった収容所などへ収容されることになりました。
当時、ハワイの人口の40%ほどをしめていた日本人全員を収容所へ送るのは現実的ではありませんでした。
なので収容所へ収容された日本人は主に ”日本のスパイになりそうな人” と考えられていた人で、日本語学校の先生や、宗教関係の人、子供を教育のため日本の学校へ送っていた親など、日本語ができる人や日本との関係がある人が多かったと言われています。
<オアフ島のホノウリウリ収容所>写真引用:NIKKEI VETERAN LEGACY
また、アメリカに住む18歳から35歳の健康な男性は、兵役が課せられることに。日系二世を中心に編成された第100歩兵大隊は、日本人の真面目さから、とても良い兵隊だと認められ、ヨーロッパでの戦いにまで駆り出されました。
また、その一年後に結成された第422連隊戦闘団もほぼ日系アメリカ人で構成されており、日系二世にとって国のために戦うこの戦争時代は、辛い経験でありながらも、自分たちのアメリカに対する忠誠心を見せることができる最大のチャンスだったのです。
そしてこの忠誠心を見せることができれば、戦争後彼らの社会的地位を上げることができるので、この戦争は彼らにとって賭けのようなものでした。
太平洋戦争後はG.I. Bill(復員兵援護法)を利用し、大学などで勉強をする二世も増え、教養をつけ地位を上げることに成功したため、日系二世は政治家や教師、弁護士や医師などの職に就く者が多くいました。
戦後の日系人の活躍
ハワイでは戦後から今もなお、さまざまなシーンで日系人が活躍しています。
2017年にハワイの空港の名前にもなった「ダニエル・K・イノウエ」。いったいこの人は何者?と思われている方も多いかもしれませんが、彼は日系二世。第二次世界大戦の時に、第422連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパで戦ったうちの1人でもあります。
彼は除隊後、ハワイ大学で政治学を学び、1954年にはまだ準州であったハワイの議員に選抜されました。ちなみに彼はアメリカ初の日系議員。
写真:https://history.house.gov/People/Detail/15647
その後1975年にはジョージ・アリヨシがハワイ州の初めての日系州知事となりました。2022年まで知事を務めていたデイビット・イゲも沖縄系にルーツのある方です。彼の日本名は伊芸 豊さん。
写真:https://governor.hawaii.gov/governors-bio/
このように、戦後どんどんと日系人のアメリカでの社会的地位が高くなっていきました。
今ではハワイには、純粋な日本の血を引いた日系人を始め、中国や韓国、またはアメリカ人とのミックスでありながら、日本人の苗字を持つ方もたくさんいます。
また、冒頭で少し紹介した日系一世や二世が始めた商店やお店以外にも、彼らが始めたお店はまだハワイにたくさん残っています。
ハワイの人気店でもあるマツモトシェイブアイスやABCストアも日系移民が始めたお店。
その他にも「タイムズスーパーマーケット」は、沖縄移民の息子2人(日系二世)のアルバートさんとウォレスさんという兄弟によって作られたハワイ生まれのスーパーです。
写真出典:Times Supermarket
このような歴史を経て、今現在もなおハワイにはたくさんの日本人(日系人)が住んでいます。
たくさんの日系人が住んでいるからこそ、ハワイでは日本の文化がとても根付いていて、「ひな祭り(Girl’s Day)」「盆踊り(Bon Dance)」「灯籠流し(Lantern Floating)」などの行事も行われています。
また、ハワイに根付いている日本の文化を知っているハワイの人は日本人のこともウェルカム!
いつハワイに来ても楽しめるのは、そんな理由や背景からかもしれませんね。
ハワイで日系アメリカ人について知りたいと思ったら、サウスベレタニア通りにあるジャパニーズカルチュアルセンターへも足を運んでみてくださいね。
当時の暮らしを再現したエキシビジョンを見ることができます。
参考:https://www.nvlchawaii.org/jp
取材協力:Lloyd Kitaoka (Executive President of 100th Infantry Battalion Veterans)